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言葉書きに思う



昨日は東京で久々のリアル書芸塾。

こんな時節ながら、都内はもとより遠くは長野、茨城、静岡といった他県からもご参加いただき、少人数ながら有意義な教室となった。

 

本時のテーマは「言葉書き」

とかく筆技を駆使した書家の手になる詩文書作品に、感心はしても、いま一つ感動できないのは、人の言葉を自身の書の技量を見せるための借り物としているせい、なのかもしれない。

 

「あ、うん」と書けば立派な書の作品として認められ、「あ、うんこ」と書けば感心されないというのも不思議だが、やはり言葉による作品となれば、言葉の意味、言霊というものが作品に深く関わってくるのだろう。

 

今朝方、仕事場のドアの前に、数ヶ月ぶりにお会いした91歳の大家のおばあちゃんが書いたペン書きの手紙が置かれていた。辿々しい字で「昨夜はお目にかかれて涙が止まりませんでした・・・常にご愛に満ちたご親切に感謝の気持ちで一杯です。」とあり、こちらが涙しそうに・・・

水茎の跡麗しい書に憧れるにしても、言葉書きとは本体、筆技の巧さを見せるためのものではなく、神仏に対し、人に対し、真心を記し伝えるための術なのだと思う。